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和歌山地方裁判所 昭和47年(行ウ)2号 判決 1977年11月07日

原告 岩本ヤスヱ

被告 和歌山労働基準監督署長

訴訟代理人 高須要子 西野清勝 桑田弘之 嶋村源 ほか四名

主文

1  被告が昭和四五年四月九日原告に対して労働者災害補償保険法に基づく遺族補償費及び葬祭料を支給しないとした処分を取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  原告

主文同旨の判決。

二  被告

1  原告の請求を棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

との判決。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  原告の夫岩本清一(以下「清一」という。)は、三友工業株式会杜の下請である佐々木組こと佐々木正男に大工人夫として雇傭され、右会社を元請負人とする和歌山県西牟婁郡白浜町保呂地内のかんがい用排水管敷設工事に従事し、労働者災害補償保険法の適用上は、右三友工業株式会社を事業主としてその適用を受けていた。清一は、昭和四四年一二月九日午前九時ころ、右工事現場において、排水管(ヒユーム管)埋設用の胴木(松材、直径一八・二センチメートル、長さ三メートル)を傾斜角四〇度、法(のり)延長五・五メートルの降雨後で、かつ、雑草が繁つているためにすべりやすい斜面になつていた堤防上からその下までころがして運搬中、右堤防上から足をすべらし右斜面下まで転落して頭部を強打し、その後、一度は起きあがつたが、一五分後に再び頭痛を訴え、直ちに、田辺中央病院に収容され、翌一〇日午前八時一五分同病院において脳内出血のため死亡した。

2  原告は、清一の妻であり、同人の死亡当時その収入によつて生計を維持していた者であり、かつ、葬祭を行なう者であるので、被告に対し、昭和四四年一二月二七日、労働者災害補償保険法に基づく遺族補償給付及び葬祭料の支給(以下「本件給付」という。)を請求したところ、被告は同四五年四月九日、清一の死亡が業務上の災害とは認めがたいことを理由に本件給付をしない旨の処分(以下「本件処分」という。)をした。そこで、原告は、本件処分を不服として、労働者災害補償保険審査官に対し、同年五月、審査請求をしたが、同年一〇月一五日、同審査官から右講求を棄却する旨の裁決を受け、更に、労働保険審査会に対し、同年一二月一四日、再審査請求をしたが、右審査会は、昭和四七年六月三〇日、右再審査請求を棄却する旨の裁決をした。

3  しかしながら、清一の死亡は業務上の事由によるものであり、本件処分は違法であるから、その取消しを求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実中、前段は認め、後段のうち、清一が、原告主張の日に原告主張の工事現場で発病し、田辺中央病院に収容され、原告主張の日時場所において脳出血による心臓衰弱により死亡したことは認めるが、清一が発病した際に従事していた作業内容及び発病状況は不知。清一が頭部を強打したことは否認する。

2  同2の事実は認める。

3  同3の主張は争う。

三  被告の主張

清一の死亡の原因となつた脳出血には、業務起因性が認められず、業務上の事由によるものではないから、本件給付を支給しない旨決定した本件処分は適法である。

1  清一が田辺中央病院に入院した際の医師の所見により頭部外傷が全く認められないこと、また、本件事故当時、清一は、布製の帽子の上に保護帽を着用していたものであるから、仮になんらかの事情で頭部に打撲を受けたことがあつたとしても、その程

度は極めで軽微であつたものというべきであり、従つて、清一の死因である脳出血が外傷によるものとは到底認められない。よつて清一の脳出血が労働基準法施行規則三五条一号に定める「負傷に起因する疾病」に該当しないことは明らかである。

2  清一の脳出血の原因は、同人が、昭和四三年四月から約一か月間高血圧等のため入院治療を受けたことからしても、潜在体質(脳動脈硬化、高血圧症、梅毒性血管病等の素因もしくは基礎疾病)に起因するものであり、このような潜在体質に起因することが明らかな場合には、清一の脳出血は右施行規則三五条三八号に規定する「業務に起因することの明らかな疾病」には該当せず、業務起因性を欠くことは明白である。

3  また、清一の脳出血が、潜在体質によるものか否か不明の場合に、業務上の事由による疾病と認められるためには、清一が、従来の業務内容に比して、質的・量的に著しく過激な業務に従事し、そのため強度の身体的努力もしくは精神的緊張があつたと認められること、あるいは、右業務中に突発的、かつ、異常な出来事による強度の驚がく、恐怖があつたと認められることが必要である。

ところで、清一が本件事故当時いかなる業務に従事していたかは明確ではないにしても、清一の当時の仕事は、その数日前からも同様に従事してきていた作業で、一本の胴木を二人で運んでいたのであり、かつ、常用(日給制)で楽な方であり、残業は全くなく、いつも午後五時には終了していたものであるから、清一に疲労の蓄積があつたものとは認められない。

また、清一の本件事故直前の作業内容が、従前のそれに比して質的・量的に特に著しく過激、異常なものであつたとはいえず、しかも、土木工事として一般的にみてもさほど重労働ともいえないので、清一の右業務に、脳出血を引き起こすような強度の肉体的または精神的負担は何ら存せず、よつて清一の脳出血が右施行規則三五条三八号に規定する「業務に起因する乙との明らかな疾病」とはいえず、業務起因性がないことは明白である。

四  被告の主張に対する原告の認否及び反論

被告の主張はすべて争う。次に述べるように、清一の死亡は業務に起因するものである。

1  清一の死因は、脳内出血であるが、その原因は、清一には本件事故当時高血圧症にかかつていなかつたこと、清一が本件事故当時かぶつていた安全帽(ヘルメツト)の左側下部に十円硬貨くらいの傷のあること、本件事故後清一の頭部左こめかみに親指位の「あざ」があつたこと、清一は、堤防斜面をすべりおちたこと、以上の事実から、頭部打撲によることは明白である。

2  仮に、清一が本件事故当時高血圧症にかかつており、これが原因で脳内出血を起こしたとしても、清一が業務遂行中に堤防上から転倒したことが、清一の死亡の引金になつたか、あるいはその重要な原因であるから、清一の死亡に業務起因性があることは十分に明白である。

3  清一の死亡に業務遂行性が肯定されることは明白である。ところで、本件のように、生命の危険が予想され、応急手当に目がいき、業務起因性を決する検査がなされていないため医学的資料が少ない場合、すべて業務起因性がないものとすることは、労働者に酷である。

よつて、業務遂行中である限り、業務起因性を認めるとするか、少なくとも、業務遂行性が認められれば、業務起因性については、一応の証明がなされれば足り、反証のない限り業務起因性を認めるとすべきである。

第三証拠<省略>

理由

一  原告の夫清一が、三友工業株式会社の下請である佐々木組こと佐々木正男に大工人夫として雇傭され、右会社を元請負人とする和歌山県西牟婁郡白浜町地内のかんがい用排水管敷設工事に従事し、右会社を事業主として労働者災害補償保険法の適用を受けていたこと、清一が昭和四四年一二月九日右工事現場において発病し、翌一〇日午前八時一五分田辺中央病院において死亡したこと及び請求原因2の事実については、当事者間に争いがない。

二  清一の死亡が、業務上の事由によるものであるか否かについて判断する。

1  まず、清一の死因について検討する。

(一)  清一が、脳の出血により昭和四四年一二月一〇日午前八時一五分田辺中央病院において死亡したことは当事者間に争いがないところ、<証拠省略>及び証人水成進一の証言並びに弁論の全趣旨によると、清一は、右病院に同月九日午前一一時前ころ意識不明の状態で運び込まれたこと、その際、付き添つて来た者が、清一は、仕事中に足をすべらせて転倒し、頭を打つた旨述べたこと、また、清一の初診時の血圧が最高一八〇、最低一一〇で、非常に高かつたこと、以上のことから、診察、治療にあたつた水成医師は、清一は脳内出血を起こしたものと判断し、その原因としては、頭部を打撲したため生じた外傷性の場合と、精神的・肉体的ストレス(緊張)が高血圧症に加わつて出血を生じた場合の二点を考えたが、しかし、右のいずれかを決定するための脳動脈撮影法は同病院に設備がないために、試験開刀術はごく専門的な検査であり、いずれもなされず、よつていずれとも決し難いこと、またその後清一の死体の解剖はなされなかつたこと、以上の各事実が認められ、これに反する証拠はない(<証拠省略>によつても、右いずれの場合かは認定することはできない。)。

(二)  そこで、清一が右病院に運び込まれる至つた経緯を検討するに、<証拠省略>を総合すると、清一は、昭和四四年一一月五日ごろから前記工事現場において大工人夫として排水管用の胴木の運搬組立作業等に従事していたが、同年一二月九日の日は、午前八時ころ右工事現場に到着し、従前どおり、金と共に排水管の胴木にする松材の端を削る作業をした後、午前九時ころから右金と共に、富田川の河原側に置いてある胴木(松材、直径二〇センチメートル位、長さ三メートル位、重さ一五ないし二〇貫位)を約二四・四メートル離れた堤防上まで運び上げて、反対側の堤防斜面下に落とし、その後は排水管を埋設するための床堀現場において胴木の組立作業をすることになつており、右両名は、胴木一本ずつを二人で堤防上まで運び上げ、約八本ないし一〇本を運び終えたところで、堤防上から反対側の斜面下まで(堤防上から斜面下までの高き約三メートル)胴木を落としていたところ、二・三本が右斜面途中にひつかかつたので、金は、一人だけで右斜面途中まで降りて行き、ひつかかつた胴木を斜面下におとしていたが、右堤防上より降りて行つて一〇分ほど後堤防上にいたはずの清一が、右斜面下に倒れているのを発見し、同人に対しどうしたのかと聞くと、何ともないと言つて一人で起き上つたので、右両名は、床堀現場に行つて胴木をボルトで締めて組み立てる作業をしていたが、作業を始めて一〇ないし二〇分ほどして、清一が「こけたせいか頭が痛い」と頭痛を訴えたので、金は清一に小屋で休むように指示し、同人は、一人で小屋に向けて歩いて行つたところ、その一〇分ほど後に、その途中のポンプ室横の畦道で、あおむけにして顔面蒼白、意識不明の状態で倒れているところを同僚に発見され、直ちに田辺中央病院に運び込まれたこと、清一が最初に倒れていた付近の堤防斜面は、斜面上の距離が五・一メートルもあり、傾斜角は約四〇度で、当時斜面上には丈の長い枯れ草が繁つており、更に、前日降つた雨と当日早朝におりた霜のため、すべりやすい状態であつたこと、清一は、右地点において、頭を東に、足を西にして、体を堤防と平行に頭部左側を下にして南側を向いて横たわるように倒れていたが、清一の頭部近くに直径二・四メートル位の排水管が南北に約五・六本置かれており、清一は、身長一・六四メートル、体重六九キロくらいあり、頭に布製帽子をかぶり、その上に安全帽(ヘルメツト)をかぶつていたが、その安全帽がちようどさわるほどの所に右排水管の先端があつたこと、本件事故当日、清一が最初に倒れたところを発見されるまでの間、同人には体の変調をうかがわせるようなことはなかつたこと、以上の各事実が認められ、右認定を覆すに足りる十分な証拠はない。

(三)  <証拠省略>によると、清一が当時かぶつていた安全帽(ヘルメツト)の左側下部に、擦つたような跡があつたことが認められ、<証拠省略>によると、清一が病院に車で運ばれる際及び病室において、同人の頭部左耳の上のあたりに、青ずんだ部分のあつたことを見た者があることが認められ、これを覆すに足りる証拠はない。

(四)  次に、清一の既往歴等について検討するに、<証拠省略>によると、清一は、昭和四三年四月一七日から同年五月二〇日まで、社会保険紀南綜合病院に肝機能障害のため入院し、その治療を受け、軽快したので退院したこと、右入院中血圧が少し高かつたので安静と、最少量の血圧降下剤の使用による治療を受けたこと、しかし右高血圧の症状は軽度のものであつたこと、また、梅毒反応が陽性だつたので、ペニシリン注射を継続して受けたこと、その後本件事故当日まで清一は、めまいがしたり、倒れたりするような高血圧症を疑わせるような症状はなかつたこと、以上の各事実が認められ、これに反する証拠はない。

(五)  以上の各事実を総合して、清一の脳内出血の原因を考察してみるに、右脳内出血の原因としては、外傷を伴なわない打撲によるものと、高血圧症に精神的・肉体的なストレス(緊張)が加わつたことによるものの、いずれかと考えられる(なお、被告が主張するその余の潜在体質が原因であることを示す十分な証拠はない。)。

ところで、清一は、胴木組み立て作業に従事していた際突然頭痛を訴えて、小屋まで休憩するために歩行の途中の地点で倒れていたところを発見されたことからすると、清一の脳内出血は、右胴木組立作業中に頭痛を訴えた時点で既に発生していたと推認される。更に、清一が斜面下で倒れていた位置、その際の清一の姿勢及び清一の頭部近くにあつた排水管、安全帽(ヘルメツト)の傷あと、頭部の青ずんだ部分の各位置関係並びに、清一は次に斜面をおりて床堀現場で胴木の組み立て作業をする予定であつたこと、右斜面はすべりやすい状態であつたことからすると、清一は、堤防斜面で足をすべらせて転倒し、その際、右排水管に頭部を打ちつけたか、又は打ちつけなかつたとしても、転倒したことにより頭部に衝撃を受けたものと推認される。もつとも、清一が本件事故後田辺中央病院に運び込まれた際同人は非常に高い血圧値を示したこと、同人の年齢(<証拠省略>によると、清一は、大正二年一二月一日生まれで本件事故当時五六歳であつたことが認められる。)からすると、同人は、当時その症状の程度はともかくとして、高血圧症であり、これに何らかのストレス(緊張)が加わつて脳内出血を起こしたものでないかが疑われる。しかしながら、清一が脳内出血を起こしたと考えられる際、同人が従事していた作業は、前示のとおり、胴木運搬及び胴木組み立ての各作業であり、同人は右作業を以前からしていたものであること、及び、右作業は土木工事にたずさわる者としてはさして重労働とはいえないこと(この点は<証拠省略>により認められる。)からすれば、右作業が、清一の高血圧症に加わつて脳内出血を起こさせるようなストレス(緊張)であるとはいえず、また他に右のようなストレス(緊張)をうかがわせるようなことはみあたらない。なお、清一は、過去に高血圧症の治療を受けたことは前示のとおりであるが、それは本件事故より一年半も前のことであり、しかも、きわめて軽度なものであつた。以上の諸点を考え合わせると、清一の脳内出血は、清一が足をすべらせて転倒した際に、頭部に受けた衝撃を契機とするものであつて、清一が当時高血圧症にかかつていた疑いがあるものの、その疾病は、同人が衝撃を受けた際に脳内出血を増悪させる要因でありえたとしても、右転倒した際の衝撃こそが同人に脳内出血を起こさせた有力な原因であつたと推認される。

2  ところで、原告が本件給付を受けるためには、労働基準法七九条、八〇条、昭和四八年法律第八五号による改正前の労働者災害補償保険法一二条一項、同四九年法律第一一五号による改正前の同法一条からすると、清一が、労働者として、「業務上の事由により死亡した場合」に該当しなければならないところ、本件の如く、業務の際に疾病を起こして、即死したのではなく、その後死亡した場合には、右にいう「業務上の事由による死亡」とは、その疾病が業務遂行中に発病し(業務遂行性)、かつ、業務と疾病との間に相当因果関係が存する(業務起因性)だけでなく、疾病と死亡との間に相当因果関係があることが必要であるが、右業務起因性が認められるためには、その業務が疾病を起こした最も有力な原因である必要はなく、業務が相当程度の有力な原因であることを要し、かつ、それで足りるものと解するのが相当である。

よつて、本件をみると、清一は、胴木運搬作業を終えて次に予定された胴木組み立て作業に行く途中、足をすべらせて転倒し、その際の衝撃により脳内出血を起こしたものであるから、清一が業務遂行中に脳内出血を起こしたことは明白であり、また、清一の脳内出血の相当程度の有力な原因として右転倒の際の衝撃が考えられるので、同人の脳内出血に業務起因性が認められ、しかも、右脳内出血が清一の唯一の死因であるから、結局清一の死亡は、業務上の事由による死亡であると認められる。

3  そうだとすると、清一の死亡を業務外の死亡であることを理由に本件給付を拒否した本件処分は違法であるといわなければならない。

三  以上の次第で、原告の本訴請求は理由があるので、これを認容し、訴訟費用の負担につき、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 新月寛 川波利明 礒尾正)

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